第3話 花・花・花
山の裾野に広がる小さな街。そんなささやかな地理的特徴以外に何の主張も持たない慎ましい街に、私は住んでいる。きらびやかで見るものを誘い込む盛り場も、必要以上に威圧感をもって構える大型スーパーも百貨店もない。ただ、自然だけは明らかに豊かだった。街中を駆け抜ける風はいつも山と森の香りをふんだんに漂わせていたし、四季を通じて風景の中から花の彩りが消えることはない。私にとってその環境は何物にも代え難く、愛おしいものだった。幼い頃から美しい自然、美しい花が持つ力に理屈を超えた情愛の念を抱き続けてきたからだ。
愚鈍な私にはその理由を第三者に説明することは難しい。しかしかつて、都市でのどこかかさついた生活に精神の摩耗を感じていたあの頃、庭先で愛でる一輪の花が明日を迎える上での支えになっていたのは事実だし、心の奥底に優しく染み通るその感覚は素直に好ましいと感じられた。お節介だとは知りつつ、子供たちにもその感覚を彼らなりに自分の思想や価値観の中に取り込んでもらえればと思って、何度か自分が花に魅入られたその思いを語って聞かせたこともある。口下手な私の語らいは要領を得ずただただ時間だけがかかってしまい、当時まだ幼かった子供たちは大抵話が終わる頃には眠ってしまっていたけれど。
そんな時間がゆるゆると流れ、いつしかこの街で何十回目かの夏を迎える。あの頃、四人での生活が随分窮屈に感じられた平屋の木造邸宅は、今では私一人、数の多すぎる部屋を持て余しながら暮らす毎日だ。
子供たちも大きくなった。頭の悪い自分に似ず非常に聡明に育った子供たちは、私が訥々と語った花への思いを各々の判断で自分の人生へと取り込み、昇華していったようだった。一番上の長男は大学と大学院で造園学・自然環境学を学び、研究所を経て今では自然と人間の適切なあり方を考察・設計するランドスケープの専門家となっている。真ん中の子である長女は華道の世界に入り、花と美とのより研ぎ澄まされた関係を創出すべく、日々静かな奮闘を続けている。そして末っ子の次男は、何と花火職人の元へと弟子入りした。一年に一度、隣街で開催される夏の花火大会では、世界一巨大なフラワー・アレンジメントを私に披露してくれる。
みな道は違えど、私の気持ちを十分すぎるほど酌みとって、それぞれの人生を颯爽と進む子供たち。彼らの優しさとその生き様を、私は何よりも誇りに思っている。