Short Story

第4話 西を向いた風見鶏

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 半島の先端に向かう坂道の途中、小高く盛り上がった丘の上に建つ洋館の屋根に、赤銅の風見鶏が据えられていた。その表面は光沢が失われてうっすらと錆が浮き、支柱の根元部分は回転機構と半分癒着している。数年前に館の主人が亡くなって後、館を管理するものがいなくなったためだ。ゆえに丘を駆け抜ける風がどんなに風見鶏に語りかけても、今の彼は少しも体を動かすことはできなかった。真っすぐ北を向き、もう見慣れた風景、見飽きた景色と向かい合い続ける日々に、彼はただ退屈と物悲しさを感じていた。
 ある時、冬に備えて海を渡るツバメの一団が彼の頭上を通り過ぎた。彼は大きな声で呼びかけた。「待って下さい!少しだけ足を止めて、私の話を聞いて下さい!」その声に、群れの最後方を飛んでいた一羽のツバメがゆっくりと高度を下げ、風見鶏の横に降り立った。涼しげで勇ましい表情をした壮年のツバメだった。
「どうしました、何か用でしょうか?」
「お願いがあるのです。ご覧の通り私の体は錆だらけで自由に動きません。ほんの少し体を傾けるだけでいい。新しい世界を見たいのです。手助け願えませんか?」
 壮年のツバメは黙って話を聞いた後、優しげな目を彼に向けた。「新天地に夢を求める心は、我々の中にもあるもの。貴方の気持ちはよく分かる。微力ながら助けになりましょう」そう言うとツバメは頭上を飛ぶ数羽を呼び寄せ、全員で風見鶏の側面に体を押し付けて、少しずつ彼の体の向きを変えていく。しばらくそれが続き、どうにか半円のさらに半分だけ傾きを変えることができた。
「これでよいでしょう。では、お互い良い旅路を」そう告げて、壮年のツバメ達は空に溶けかけた群れの影を追って飛び立った。大声で礼の言葉を叫ぶ風見鶏の目に、沈みかけた太陽の放つ光の帯がちかりと飛び込んできた。

 半年後、海を渡り故郷へと戻る壮年のツバメの目に、あの西を向いた風見鶏の姿が映った。彼は色褪せた瓦の並ぶ屋根に降り立ち、夕陽に赤々と照らされた風見鶏に語りかけた。「どうでしたか。新しい世界に夢を見出せましたか?」
 風見鶏ははみかみながら答えた。「しばらくは見るもの全てが新鮮でした。山に沈む太陽も、拡散する陽光を受けて表情豊かな芸術を映し出す雲も。けれどじきにその景色にも見慣れてしまった。その時私は落ち込んで…」そこで少し間を置いた後、再び彼は言葉を続けた。「…しかしそれがきっかけで、私は一つのことに気付きました。確かに見慣れた景色ではあるけれど、それを勝手につまらないと決めつけてしまっているのは、他でもない自分だと。私が十分に観察できていないだけで、世界にはまだまだ自分の知らない可能性があるに違いないと、そう思うようになりました。ですから今は毎日がとても楽しいのです」
 ツバメはそれを聞いて目を細めた。「貴方は二つの真理を得た。新しい世界を追い続けることの意義と、今自分の身の回りにある世界をより深く見つめることの重要性を知った。貴方はとても素敵な経験をしたと私は思う」穏やかな声でそう語り、壮年のツバメは「これからも、幸福な旅路を」と言葉をかけてその場を飛び去った。
 夕闇に消えていくツバメを眺めながら、風見鶏は、全身に注がれた夕陽のシャワーにいつもより多くの暖かさを感じていた。