Short Story

第25話 いけないこと

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ママの鏡台。
左の引き出しの一番奥にある、口紅。
ママの、とっておきの口紅。
取り出して、そっと、蓋をあける。
綺麗な色。
うっとり。
少しためらった後、思いきって、
小さな唇の上を、なぞってみる。
ママに内緒で。いけないこと。
でも、鏡に映った自分の顔、
口元に慎ましく塗られた紅の色は、とても魅惑的で。
その鮮やかな彩りに、私はただ、見とれている。

そして、美しい紅をまとった私は、
あの人の待つ約束の場所へ向かう。
私の顔を見て、あの人は驚きを隠しきれず、
一瞬の硬直の後、混乱さめやらぬまま視線を辺りへと彷徨わせた。
気付いたのね?
そうよ、ママの口紅。
あなたと逢う時にだけ、つけていた、
ママの、とっておきの口紅。

伏した目を上げようとしない彼。
その目を見つめたまま視線を動かせない私。
どうして、
どうしてなの?
答えない彼。
もう、答えを必要としていない私。
夕暮れどきの雑踏がまるで嘘のように、
ただ沈黙だけが、凍りついた時間を押し流していった。